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未初期化領域への暗黙的なオブジェクト構築(C++20)

このページはC++20に採用された言語機能の変更を解説しています。

のちのC++規格でさらに変更される場合があるため関連項目を参照してください。

概要

new式ではなくmalloc()等他の方法で確保されたメモリ領域には、明示的にオブジェクトの構築を行うまで想定する型のオブジェクトは生存期間内になく、そのアクセス(読み書き)は未定義動作を引き起こす。

struct X {
  int a;
  int b;
};

X *make_x() {
  // malloc()はメモリの確保だけを行う
  X *p = (X*)malloc(sizeof(struct X));

  // pの領域にはXのオブジェクトが構築されていない
  p->a = 1; // 💀 UB
  p->b = 2; // 💀 UB

  return p;
}

この様なコードは純粋なC++ではnew式を用いることになり、その場合は問題ない。

// new式を使用する場合
X *make_x() {
  // new式はメモリの確保とオブジェクト構築を行う
  X *p = new X;

  // pの領域にはXのオブジェクトが構築済
  p->a = 1; // ✅ ok
  p->b = 2; // ✅ ok

  return p;
}

一番最初のmalloc()を用いるコードは主にCのコードと共有する部分で現れることがあり、Cでは問題ないもののC++コードとしてコンパイルした場合にのみ未定義動作を引き起こす。C++20からは、この様なコードのC/C++相互運用性向上のために、明示的にオブジェクトを構築する必要がないとみなすことのできる一部の型(implicit-lifetime types)に限って、未初期化領域へのアクセス時に暗黙的に(自動的に)オブジェクトが構築される様になり、未定義動作を回避できる様になる。

問題となる他の例

以下の例はこの変更によって解決される例であり、C++17以前は未定義動作を引き起こすものである。

operator new

new式ではなくoperator new()を直接使用する場合は同様の問題がある。

// new演算子を使用する場合
X *make_x() {
  // operator new()はメモリの確保だけを行う
  X *p = (X*)::operator new(sizeof(struct X));

  // pの領域にはXのオブジェクトが構築されていない
  p->a = 1; // 💀 UB
  p->b = 2; // 💀 UB

  return p;
}

共用体のコピー

union U {
  int n;
  float f;
};

float pun(int n) {
  // U::nの生存期間が開始
  U u = {.n = n};

  // このコピーではuのオブジェクト表現がコピーされるものの、メンバの生存期間は開始されない
  // そのため、アクティブメンバが無い状態となる
  U u2 = u;

  // u2.fは非アクティブ
  return u2.f; // 💀 UB
}

バイト配列の読み込み

// 何かバイト列ストリームを受け取って処理する関数とする
void process(Stream *stream) {
  // バイト配列の読み出し
  std::unique_ptr<char[]> buffer = stream->read();

  // 先頭バイトの状態によって分岐
  if (buffer[0] == FOO) {
    process_foo(reinterpret_cast<Foo*>(buffer.get())); // #1
  } else {
    process_bar(reinterpret_cast<Bar*>(buffer.get())); // #2
  }
}

1つの領域に複数の型のオブジェクトが同時に生存期間内にあることはないため、stream->read()が内部でFoo, Barどちらかのオブジェクトを構築していたとしても、#1#2のどちらかのパスは未定義動作を引き起こす。そして、この様なコードでは多くの場合、明示的にオブジェクトが構築されることはない。

動的配列の実装

// std::vectorの様な動的配列型を実装したい
template<typename T>
struct Vec {
  char *buf = nullptr;
  char *buf_end_size = nullptr;
  char *buf_end_capacity = nullptr;

  void reserve(std::size_t n) {
    char *newbuf = (char*)::operator new(n * sizeof(T), std::align_val_t(alignof(T)));
    std::uninitialized_copy(begin(), end(), (T*)newbuf); // #a 💀 UB

    ::operator delete(buf, std::align_val_t(alignof(T)));
    buf = newbuf;
    buf_end_size = newbuf + sizeof(T) * size(); // #b 💀 UB
    buf_end_capacity = newbuf + sizeof(T) * n;  // #c 💀 UB
  }

  void push_back(T t) {
    if (buf_end_size == buf_end_capacity)
      reserve(std::max<std::size_t>(size() * 2, 1));
    new (buf_end_size) T(t);
    buf_end_size += sizeof(T); // #d 💀 UB
  }

  T *begin() { return (T*)buf; }

  T *end() { return (T*)buf_end_size; }

  std::size_t size() { return end() - begin(); } // #e 💀 UB
};

int main() {
  Vec<int> v;
  v.push_back(1);
  v.push_back(2);
  v.push_back(3);
  for (int n : v) { /*...*/ } // #f 💀 UB
}

C++においては、ポインタに対する演算(+ -など)はそのポインタが配列オブジェクトを指している場合にのみ有効となるが、例中の#a #b #c #d #e #fで使用されるポインタの指す領域にはいずれも配列オブジェクトが生存期間にない(正確には、非配列オブジェクトのポインタの場合は要素数1の配列として扱われるが、この例の場合はそれを満たすことはほぼなく、満たさないものとする)。そのため、そのポインタをイテレータの様に使用することは未定義動作を引き起こす。

仕様

implicit-lifetime types

明示的にオブジェクトを構築する必要がないとみなすことのできる一部の型はimplicit-lifetime typesと呼ばれる次のいずれかに該当する型である

  1. スカラ型
  2. 配列型
    • 要素型は問わない
  3. implicit-lifetime class types
    • デストラクタがユーザー定義されていない集成体型、もしくは
    • 少なくとも1つの資格のあるトリビアルコンストラクタと、トリビアルで削除されていないデストラクタを持つ型
  4. 1~3のCV修飾された型

オブジェクトを暗黙的に構築する操作

標準ライブラリ中の次の関数は、implicit-lifetime typesに対して使用した場合に、その振る舞いの一環として指定された領域内にそのオブジェクトを暗黙的に構築する

  • new演算子
    • operator new
    • operator new[]
  • アロケータ
  • Cライブラリ関数
    • std::aligned_alloc
    • std::calloc
    • std::malloc
    • std::realloc
    • std::memcpy
    • std::memmove
  • std::bit_cast

これらの操作はそれぞれ、次のようにオブジェクトを暗黙的に構築する

  • new演算子とCのメモリ確保関数
    • 返された領域にオブジェクトを構築し、構築された適切なオブジェクトへのポインタを返す
      • calloc/reallocの場合、暗黙的なオブジェクト構築はゼロ埋め/コピーが行われる前に行われる
  • std::allocator::allocate
    • 返された配列型の領域にその配列型のオブジェクトを構築するが、配列要素は構築されない
  • std::memcpy/std::memmove
    • コピー先領域への暗黙的なオブジェクト構築は、コピー先領域にコピーをする前に行われる
  • std::bit_cast
    • ネストしたものも含めて、結果領域に暗黙にオブジェクトを構築する
      • ネストしたもの、とは例えばクラスメンバや配列の要素のこと

また、これらの操作に限らず、char, unsigned char, std::byteの配列オブジェクトを構築しその生存期間を開始する操作は、その配列オブジェクトが占有する領域内にその要素のオブジェクトを暗黙的に構築する。

共用体のコピー操作

共用体のデフォルトのコピー/ムーブコンストラクタと代入演算子では、次のようにオブジェクトを暗黙的に構築する

  • コンストラクタ
    • コピー元オブジェクトにネストした各オブジェクトに対して、コピー先内で対応するオブジェクトo
      • サブオブジェクトの場合 : 特定する
      • それ以外の場合 : 暗黙的に構築する
        • 別のオブジェクトにストレージを提供している場合やサブオブジェクトのサブオブジェクトなど
    • oの生存期間はコピーの前に開始される
  • 代入演算子
    • 代入元と代入先が同じオブジェクトではない場合
    • コピー元オブジェクトにネストした各オブジェクトに対して、コピー先内で対応するオブジェクトoが暗黙的に構築され
    • oの生存期間はコピーの前に開始される

どちらの場合も、コピー元で生存期間内にあるオブジェクトがコピー先で(可能なら)暗黙的に構築される。

クラス型をメンバとして保持する場合など、デフォルトのコンストラクタ/代入演算子がdeleteされている場合はこれは行われない。

暗黙的なオブジェクト構築

オブジェクトを暗黙的に構築する操作では、そうすることでプログラムが定義された振る舞いをするようになる(すなわち、未定義動作が回避できる)場合に、implicit-lifetime typesの0個以上のオブジェクトを暗黙的に構築しその生存期間を開始させる。そのような、暗黙的なオブジェクト構築によってプログラムに定義された振る舞いをもたらすオブジェクトの集合が1つも存在しない場合は未定義動作を引き起こす(これは今まで通り)。逆に、そのようなオブジェクトの集合が複数存在している場合は、どのオブジェクトが暗黙的に構築されるかは未規定(これは、都度適切なオブジェクトが選択され構築されることを意図している)。

暗黙的なオブジェクト構築が行われる場合、そのサブオブジェクトのimplicit-lifetime typesのオブジェクトも暗黙的に構築され生存期間が開始されるが、implicit-lifetime typesではないオブジェクトは暗黙的に構築されないため明示的な初期化が必要となる。

暗黙的なオブジェクト構築を行わなくてもプログラムが定義された振る舞いをする(未定義動作とならない)場合、対象の操作は暗黙的にオブジェクトを構築せず、通常の効果のみをもたらす。

さらに、オブジェクトを暗黙的に構築する操作の内メモリを確保する関数等一部の操作では、暗黙的なオブジェクト構築によって作成されたオブジェクトを指す適切なポインタを返すことが規定される。これらの操作においては、そのポインタ値を返すことでプログラムが定義された振る舞いをするようになる場合に、指定された領域の先頭アドレスをアドレスとする暗黙的に構築されたオブジェクトの1つを選択し、そのオブジェクトを指すポインタ値を生成しそれを返す。そのような、プログラムに定義された振る舞いをもたらすようなポインタ値が存在しない場合は未定義動作を引き起こす。逆に、そのようなポインタ値が複数存在している場合は、どのポインタ値が生成されるかは未規定

そのようなポインタ生成を行わなくてもプログラムが定義された振る舞いをする場合、そのようなポインタ値は生成されず、対象の操作は通常のポインタ値を返す。

擬似デストラクタ呼び出しによる生存期間の終了

一部の文脈では、スカラ型のオブジェクトに対してデストラクタ呼び出しを行うことができ、その場合のデストラクタ呼び出しのことを擬似デストラクタ呼び出し(pseudo-destructor call)と呼ぶ。

C++17まで、擬似デストラクタ呼び出しには何の効果もなかった(テンプレートの文脈でクラス型との構文上の互換性を取るためのものでしかなかった)が、C++20からは擬似デストラクタ呼び出しはそのスカラ型オブジェクトの生存期間を終了させることが規定される。

constexpr int f() {
  int a = 123;
  using T = int;

  // 擬似デストラクタ呼び出し
  // C++20からはaの生存期間を終了させる
  // C++17までは何も効果がない
  a.~T();

  return a;  // C++20からはUB、C++17までは123を返す
}

static_assert(f() == 123);  // C++20からはUBが起こるため不適格、C++17以前は適格

これに伴い、destroy_at()などの擬似デストラクタ呼び出しと等価のことを行うライブラリ機能においても、スカラ型のオブジェクトの生存期間を終了させるようになる。

これらの変更の影響

これらの変更はあくまでオブジェクト生存期間に関する規則を変更しただけに過ぎず、その影響はコンパイラ等の実装のオブジェクト生存期間の認識が変わるだけである。それによって、今まで未定義動作となっていたコードが未定義動作ではなくなり、未定義動作をトリガーとする最適化を受ける可能性が将来にわたって取り除かれることになる(ただし、擬似デストラクタ呼び出し周りの変更だけは、未定義動作ではなかったコードを未定義動作にしうる)。

したがって、これらの変更によって実行時に何かすべきことが増えるわけではなく、暗黙的なオブジェクト構築は実際にコンストラクタを呼んだり何か初期化を行うものではないし、擬似デストラクタ呼び出しが実行時に何かをするようになるわけでもない。

以前の問題の修正例

malloc()/ operator new

// Xはimplicit-lifetime class types
struct X {
  int a;
  int b;
};

X *make_x() {
  // 後続のXのメンバアクセスを定義された振る舞いとするために
  // malloc()はメモリの確保とともにXのオブジェクト(とメンバオブジェクト)を暗黙的に構築する
  // そして、構築されたXのオブジェクトへの適切なポインタを返す
  X *p = (X*)malloc(sizeof(struct X));

  // pの領域にはXのオブジェクトが暗黙的に構築されている
  p->a = 1; // ✅ ok
  p->b = 2; // ✅ ok

  return p;
}

// new演算子を使用する場合
X *make_x() {
  // 後続のXのメンバアクセスを定義された振る舞いとするために
  // operator new()はメモリの確保とともにXのオブジェクト(とメンバオブジェクト)を暗黙的に構築する
  // そして、構築されたXのオブジェクトへの適切なポインタを返す
  X *p = (X*)::operator new(sizeof(struct X));

  // pの領域にはXのオブジェクトが暗黙的に構築されている
  p->a = 1; // ✅ ok
  p->b = 2; // ✅ ok

  return p;
}

共用体のコピー

union U {
  int n;
  float f;
};

float pun(int n) {
  // U::nの生存期間が開始
  U u = {.n = n};

  // このコピーではuのオブジェクト表現がコピーされるとともに
  // uのアクティブメンバに対応するメンバがコピー先でアクティブとなる
  U u2 = u;

  // u2.fは非アクティブ
  return u2.f; // 💀 UB
}

共用体のコピーにおいてはあくまでコピー元で生存期間内にあったオブジェクトに対応するオブジェクトがコピー先でも生存期間内にあることが保証されるだけで、type-punningのようなことを可能にするわけではない。

int f(int n) {
  U u = {.n = n};

  U u2 = u;

  // これならok
  return u2.n; // ✅ ok
}

バイト配列の読み込み

// 何かバイト列ストリームを受け取って処理する関数とする
void process(Stream *stream) {
  // バイト配列の読み出し
  std::unique_ptr<char[]> buffer = stream->read();

  // 先頭バイトの状態によって分岐
  if (buffer[0] == FOO) {
    process_foo(reinterpret_cast<Foo*>(buffer.get())); // #1
  } else {
    process_bar(reinterpret_cast<Bar*>(buffer.get())); // #2
  }
}

FooBarimplicit-lifetime typesだとして、このコードに対してStream::read()が次のように実装されている場合

unique_ptr<char[]> Stream::read() {
  // ... determine data size ...
  unique_ptr<char[]> buffer(new char[N]);
  // ... copy data into buffer ...
  return buffer;
}

このread()内のnew char[N]によって呼ばれるoperator new[]によってFoo/Barのオブジェクトが暗黙的に構築される。この場合、buffer[0] == FOOによる分岐によってプログラムに定義された振る舞いをもたらすオブジェクトは、FooBarのオブジェクトとして2つ存在する。したがって、ここでは先頭バイトの状態に応じて適切なオブジェクトが構築される(そうすることでプログラムに定義された振る舞いをもたらす)ため、process()内では未定義動作は回避される。

ただし、process()内の各分岐においては、返されたbufferポインタ(char(*)[])からそれぞれの場合で適切なオブジェクト(Foo/Bar)へのポインタを、std::launder()を用いて取得する必要がある。

reinterpret_castはポインタ型の変換のみを行うが、型変換だけではそのポインタはその領域で生存期間内にあるオブジェクトと必ずしもリンクしない。std::launder()は、渡されたポインタの領域で生存期間内にあるオブジェクトへのポインタを生成して返す関数であり、これを用いることで暗黙的に構築されたオブジェクトへの適切なポインタを得ることができる。

動的配列の実装

この例では、reserve()newbuf及びそれを保存しているVec::bufの領域にT[]Tの配列型)とchar[]のオブジェクトが暗黙的に構築され、同時に生存期間内にあることで、問題(配列オブジェクトを指さないポインタのイテレータとしての使用)は解消される。

ただし、newbuf及びVec::bufから都度適切なオブジェクトへのポインタを得るのにstd::launder()を適切に使用する必要がある。

この機能が必要になった背景・経緯

例に上がっているようなコードはC言語では一般的な操作であり、Cでは問題がない。このようなコードはCとC++のコード共有部分でC++コードとして現れる可能性があり、その場合には未定義動作を引き起こす。

また、動的配列の例などは、std::vectorの実装において問題となることで、そこは完全にC++のコードでありながらC++がサポートしてないことを行うことになってしまう。

これらの問題は、影響を受けるコードが多すぎるため実装はこれを最適化に用いたりはしないと考えられるため、実際には問題とならない可能性が高かった。しかし、これらのよく書かれているコードをC++がサポートしていないという奇妙な状況を改善するため、暗黙的なオブジェクト構築という仕様が導入された。

検討されたほかの選択肢

上記の問題を解決するための方法として、暗黙的なオブジェクト構築以外に

  • 問題となる操作を無条件で合法化
  • ライブラリ関数を追加して、それを介してコンパイラに意図を伝達
  • std::spanを特別扱いして、関連する操作を合法化

などが考案されていた。

最終的には、C++のオブジェクトモデルを修正する暗黙的なオブジェクト構築によってこの問題を解消することになった。

なお、2番目の特殊なライブラリ関数もC++23でstd::start_lifetime_as()として追加されている。

関連項目

  • start_lifetime_as()
  • start_lifetime_as_array()
  • is_implicit_lifetime

参照